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木漏れ日の空間にようこそ !!

木漏れ日の空間にようこそ !!

▼【記事の要点を記す(3)】






 【感謝されるための道徳は世界制覇の具にできる】
感謝を行うことは道徳です。常に感謝の気持ちをもって生きることは宗教です。他人に施した愛の行為に感謝を要求することは貪りです。霊的には愛を施して得られた霊的な力はご破算になります。愛の行為を取引の材料にすることは悪徳です。単なるムムサボりではなくははじめに施したあの行為は愛ではなくなります。したがって愛が時の経過により悪徳になるばあいもあります。したがってはじめから取引に使う目的を持った愛の行為などと云う概念は存在し得ません。しかし、後で取引に使うことを目的として、愛の行為と見せかけて何らかの行為を他人に施すことは可能です。上記は悪魔の業です。全世界の法律や行政に携わる人人達は上記を考慮して訴訟法を改善していただかなくてはいけません。

訴訟法で恩の先売りが可能になれば世界制覇もかのうになります。私だって先に何らかの恩を創られれば、発案した知的所有権を奪われる可能性はあるのです。道徳違反を逆手に取って施した悪魔の技を行使できる場を創ることも可能になります。迂闊に道徳は創られません。ウラ、表の両面で管理しなくてはならなくなります。感謝されるための道徳は裏切らなくてはならなくなります。感謝されるための愛は裏切っても神のお叱りはないと思います。以上に関してユダヤ教は何と答えていますか?「我、抜刀する時既に勝負あり」ユダヤの旗は制覇した地にユダヤ教が立てるのか?性道徳で制覇できるのか?神の概念を追求すれば神は霊魂の覇者とも定義できます。定義はなくても超能力等の霊的力を認めれば神は霊魂の覇者になります。ユダヤ教の定義は何になっているのか?モーゼスは海を割ったと言われいます。竹下は知らなかったのか?モーゼの生まれ替りがイエスでもよいのです。


 



【道徳が形骸化される過程を記す】
「性道徳に関して良識に外れた行いの是非が問われますけれども、良識をに外れた行為を宗教が性道徳の中で規制すれば、教えの利用を試みる者に楔を打ち込まれたことになります。楔だけでは樹木は直ちに倒されることは在りませんがいずれは倒されます。楔が多数打ち込まれたり、楔を大きな楔に取り換えたりされて、本来の教えの目的が、形骸化されると云うことです。形骸化を策動する者達は、それほどまでにして教えを形骸化する理由が何処にあるのか?答えてもらいます。良識の問題は仏教で言えば小乗に類する概念であり、他人に口出しすためには、それに相当する根拠がなくてはいけません。

根拠が独善的であれば提出されたテーマ議論になります。提出しなければ表面と内心が違うように観られます。私は、道徳とはそれぞれが良識を基準に自ら判断する概念であると認識しますので。良識の規則を創れば道徳が規則を持つ良識に置き換えられることになると思います。又、性道徳に関して「カクカクシカジカのことは出来ません」と一般の的な行為として言えば、私の宗教に性道徳に規則を創ることになります。したがって私自身からは言えません。他人が言うのは自由ですが受け入れるか?受け入れないか?は私の自由です。但し、法律との関係をどのように扱うか?は問いただします。

又、理由の如何に拘わらず個人的な問題としてこの人とは性関係を持てませんと言っても規則にはなりません。要するに断る権利があるのです。他人の権利は、親権者以外は、何者にも行使出来ないのです。例えば第三者が(お前は管管シカジカノのことを異性から要望されたら断らなくてはいけない)などと強要することはできません。アドバイスはできます。(良識の問題です)さらには、性道徳に限らず規則を創るなら法律と、どのように向き合うか?考えてから提言してもらいたいと思います。「オレが規則を創るから、お前も自分のことを考えてみろ」と言うなら私の宗教が利用されることになりますので「お前が規則を創ってから考る」と答えます。



 【私の宗教は神の前に不都合が起きれば消え去るだけです】
「キリスト教圏の」為政者はどうやら私の性道徳が気に入らない様子ですが、法王庁の法皇や司祭達は乱れた性生活を送っているとは考えらませんので何故性道徳が乱れるかか?考えてもらいたいと思います。宗教の責任でないことは明らかです。私が回答すれば法律で取り締まれないょうな道徳を謳うかららいけないのです。性道徳は人権擁護の中でしか規制できないのです。人権侵害にならなければ取り締まることきないのです。キチントした法王が居るのに何を私に要求するのですか?私は権力にかしずくための宗教は唱えません。私の宗教が神の前に不適切であれば誰にも受け入れてもらえなくなるだけです。

私は、法皇の二の舞は演じませんので以下は、そのことを前提としてご覧いただきたいと思います。私が得られる情報の外で何が起きているか?さまざまに想像出来ますが想像上のことを事実として判断することは致しません。何か?気に入らないことが起きているならご自分の責任で止めさせていただくより仕方在ります。私が止めるべき事柄であれば最低限、如何なることかお知らせいただいてから進言していただくべきです。但し、事の順序と云うものがありますので、相手のあることは、単にご自身の意向としてのアドバイスでは受け入れられないこともあります。(事態が生じてから道徳に反する行為であるとの指摘は受け入れられません)

以上に関しては法律に違反する事柄であれば止めます。以上は良識です。良識が解からない者に道徳が解かるとは思いません。以上が事実なら徳の概念が解かっていないと疑いたくなります。有識者と云われる人達は、私の責任に関すること(私の宗教の行く末のこと)など心配していただくことではありません。神の前に不都合が起きれば、唯、消え去るだけです。もし心配する人が居ればだれのために何を心配するのか?キチント答えを出して、キリスト教圏国なら法王庁に提出願いたいと思います。そして、法王には提出者の想いが愛であるか?どうか?断していただきたいと思います。(イエスの教えに従っているか?どうか?判断していただくことです)

以上は私の宗教理念(宗教の考え方)ですのでいやしくも宗教と名の吐くものを提唱している以上曲げることはできません。特に事の順序を守ることは私の宗教の骨子です。事の順序を守ることは法律の運用に関しても重要なことであると考えます。私は法律の専門家ではありませんので深くは立ち入りません。道徳を考える上で、同性愛をどのように扱うか?を念頭に置いて考えることが重要です。同性愛でも性道徳として規制するから人権侵害があっても取り締まれなくなりると考えられます。理由は「法律に外れたことは行っていない」と云うい分が成り立つのです。

新梁山泊の会合のメンバーは、外国の有識者達の口出しがひどいようであれば、法王庁に異義を唱えていただきたいと思います。もし、彼らが、私が有効な特許権を神社に奉納できて、私の周期用が神の力にあずかることができるだろうから、先頭に立って性道徳を正して欲しいと云うことであれば、性道徳とは何か?を先に示していただかなくてはいけません。定義も出来ないことについて公然と神の判断を仰ぐことはできません。(人間が期待するような結果は得られないと云う意味)性道徳は力で守らすことでありません。力で守らすことを考えれば(風習が出来れば)力で犯す者が現れます。(力で犯すことがなのうになります)規制するのも力であり犯すのも力になります。宗教など無用の長物になります。
 



 【最後とは神の自己矛盾のことかも知れない】
最後には各々然々になる、最後には決断しなくてはならなくなる・・。等の最後は、概ね条件となるテーマがなくては意味がありません。私の当ページに記す記事に使う場合は該当する記事の内容から「最後の概念を」特定してもらえると思いますが、想念上のものは特定できないももあったかも知れません。本来想念では前提となる概念など現さないでよいようになっているのです。ことさらに表せば重複します。しかし、文章や言葉に出す場合はすり替えを行うことができますので、必要のある場合は確認するべきです。あいまいな前提で「最後にはヤル」と言われれば私は「お前の言う最後とは自分の死ぬ直前のことか?」と言い返します。当ページに記すテーマの一つは、法治破綻社会の霊的意味です。

特定霊魂の思想をきっかけに想念上で頻繁飛び交う最後とは、人類滅亡か?存続か?の岐路とも捉える事ができます。上記が私の想念上の現象限られるものではなく普遍的な現象であれば、私は「君は存続を選ぶのか?滅亡を選ぶのか?」と問います。今存在している万物は、神の前には、神の意志が例え滅亡であっても存続を選ばなくてはならないようになっていると答えます。神のシスティムと万物のシスティムが食い違うこともあり得ることになります。人間の理解では神の持つ矛盾になります。私の宗教では理解を超えた概念になっています。人間の法治破綻から核戦争になっても一部の哺乳類はおろか、人間さえも全滅することはあり得ないのです。いわんや植物や細菌、ウイルスは滅ぶことはありません。

但し、人間は滅んでも霊魂が滅びなければ、宇宙空間の他の場所、例えば他の惑星に転生できるかも知れません。神が存在すれば各自の行き場所は神によって決められるはずです。神による賞罰は避けられないと思います。又最後が宇宙の消滅であれば、神の自己矛盾かも知れません。それも人間の理解です。仏教で云うところの万象現万物の万象は出来事のことです。万物があって現象が起きるのですから万物の最後は宇宙の最後になります。神の矛盾を考えれは、いたずらに「最後」を口にするな!と言いたくなります。「お前は神の矛盾を指摘したいのか?」さらには霊魂の存在を唱える者が神の存在を否定しなくてはならなくなります。(霊魂の存在を唱えなければ神の存在を否定でき
 


 


 【警察は外国に勧誘防止ノウハウを知らせる必要がありました】
国松元警に察庁長官に云う。貴殿が警察OBの元締めだと云うなら、幸福の科学大川隆法をおとなしくしたのは警察ではなく私であることを全警察官に知らせてもらうべきだったと思います。ノウハウは、警察の協力がなくてはできないことではありましたが、協力と言っても派出所の警察官が町内会に回覧板を出すことを勧めれば済む程度のことだったのです。全国的には弁護士会に知らせればよいと思います。経緯、手段を添えてノウハウノ発案は私であることを知らせてもらいます。一応ノウハウ(勧誘しても支障がなければ関係ありません)と言わせてもらいますが、世界に通用するノウハウですから、外国に紹介する場合はキチント私の名前を添えて紹介してもらいたいと思います。

但し、紹介手段は政府の内閣を通して行う間接手段になると思います。不良勧誘防止ノウハウに関しては、神の前では私が気が付かなければ、何を行ってもよいと云うものではありません。例えば、私が発案したノウハウを警察が発案したとして外国に紹介する行為です。以上は神の存在を認めない人には関係ありません。警察なら良心に抵触しなければできます。(苦情は無用です)少しでも良心にていこうがあれば、外国に紹介できなくなります。以上は自己保存行為ですので仕方が在りませんが、仕方のない原因は何処に在るか各警察官は考えてもらう必要があります。私は国松元長官にあると考えます。国松元長官は、東大卒なら私の言わんとするところのものは解るだろう。(実行すれば矛盾が起きます)-p33(2013/06/07)
 



【間違いを生かすとは何なのだ!】
この世的(存在)の事実を、霊の論理を持ち出して否定することはできないのです。現実の問題として、そのような論理は間違いが生じ易く、叉、霊的存在にも悪いものがあると云われています。いわゆる悪霊、悪魔です。このような類は、一目でオレは悪魔だなどと分かる形はとらないのです。ですから、外見だけの判断ではなく、言行が一致しているか?否か?で判断しなくてはいけないのです。「ヤッテ悪いこと」とは小田島氏名義の手紙のことか?それならば、高橋佳子は中野富敏を咎めたことになるのです。私が「弘法大師の生まれ替わり」と云っことか?ハッキリ明示しなくてはいけなかったのです。

ヤッテ良いことと悪いことがあると云っても、お地蔵様に小便をかけることとは意味が違います。(禁止行為を明文化する必要は無い)ヤッテ悪いことがあるならハッキリ明示しておかなくてはいけないのです。それさえ出来ないのでは、因果を法律と同一視したものと見なさざるを得ません。口には出さねど、無言の圧力をかける行為は、道徳を指針としたとしても無理が出ます。いけないものはハッキリ言葉で明示しなくてはいけないのです。霊的存在をこの世的に否定することとは意味が違います。又、高橋佳子の間違いを生かすと云う教説は、自己の間違いのみか?他の間違いをも含めてか?そのまま生かすのか?教訓として生かすのか?もハッキリさせていませんでした。従って教えの間違いか?解釈の間違いか?さらには間違っていないのか・さえ客観的に判別できないものでした。

このような曖昧な特定個人の霊的概念で、(あの世では通用するとしても⇒想いの世界だから想いの中身も解る)人間の賞罰ができると皆さん思いますか?考えていただきたいと思います。GLAは教義を捨てて解散すれば良いのです。これは命令とも取れますので、私の云うべきことではありませんが、一般論としては、その様になると云う意味です。マスコミ関係者には、ノウハウ事件に関するアニメ映画でも作って貰えば解決の糸口にはなります。しかし為政者の意向で解決しないのならば、解決しなくても良いのです。私としてはインターネットでこのような事件が存在していたとこ公表を続けるだけです。
(2011/02/22)
 



【私の宗教理念の意味を例示します】 
性道徳違反の疑いだけで非難する宗教がある様子ですが、組織を持つ宗教は疑いだけで除名できれば。規則によって行なわれるか?教組の独断で行われるか?について、自然な形で進行してもいずれは質されます。理由は、宗教が道徳を管理するなら、調査して法律に違反していか?いないか?を自主的に判断しなくてはならなくなるからです。理由は法律に違反していない性道徳を非難すれば、名誉棄損になるからです。法律による報復を受ける場合があると云うことです。法律の存在は、神の裁断の以前に人間による自主裁断の手段が設けられていると云うことです。以上は未開文明社会を調査すれば分かります。従って法律の存在する社会では性道徳に違反しているか?どうか?は法律で判断されることになります。

上記から、宗教組織に加入していない宗教的にフリーの個人は性道徳は関係ありません。要するに道徳とは宗教があって存在する概念です。物語風に説明すれば、法律は神が人間自身で判断する手段を与え賜うた慈悲とも言えるのです。道理で説明すれば、人間は間違いを犯す存在です。何を基準にして間違いを犯すか?と言えば道徳を基準にして間違いを犯すと云うことです。人間が創った法律なら間違った道徳に関しても間違った判断が起こり得ると云うことでもあります。上記に例示した宗教組織による道徳(性道徳)の自主制裁は可能ではありますが、法律の存在する社会であっても最終判断は神に委ねられることになります。どちらが神罰を受けるのか?誰が神罰を受けるか?考えてもらいたい課題です。道徳に関して宗教的にフリーの個人は、自分の思うところを実行して神の裁断を仰ぐより仕方ありません。

予想される神(神に象徴される高級心霊)の裁断は自分の思想に合う宗教で生きなくてはならなくなると回答すると思いますが、間違いがあれば修正もできます。理由は神にも上には上があるからです。神罰は全体に当るとする宗教もありますが、どの段階の神が制裁するか?の説明が抜けています。一概には言えないことです。宗教を組織で運営する者も間違いは修正できます。しかし、以上は私の宗教理念に関することです。宗教理念の当否は神に仰ぐことにします。上記によりますので、各宗教組織はしっかりしないと、「性道徳はコチラで他の道徳はアチラと云う二股も起きるぞ!」以上は行政や政治に任せていては、いずれ法律の拘束を受けなくてはならなくなります。宗教を組織団体をもって説く者は他人のせいにはできません。

私の宗教理念では複数の宗教が創れるようになっています。したがって個々の宗教が政治に支配されても独裁にはなりません。独裁にするには全ての昇給を統一して政祭一致衆民を治める体制を創らなくてはならなくなります。上記体制を創るには強権に頼るか?カルト思想によって衆民(人民)を洗脳(マインドコントロール)するか?の二つの手段が考えられます。その他もあるかも知れません。個人に自由に宗教を創る道があれば、政祭一致の強権体制派を樹立することは先ずは不可能です。問題はカルト思想ですですが、カルト思想は超能力がなくては広まりません。超能力は神の手にあるものですから是非は結果でしか判断できません。しかし、私の宗教理念では神の裁断の前に人間の努力を唱えています。それだけです。

複数の宗教が創れる根拠は、神の定義が限界はありますが自由にできること、道徳も自由に創れることです。又、神は存在しないとすることもできます。しかし、反論も起きます。神は存在しないとすると高級心霊の存在が危うくなります。霊魂の上下がなくなります。悪霊や悪魔をどうするか?対策を考えなてはならなくなります。高級心霊を認めれば上には上があることを認めなくてはならなくなります。以上は生命の死後の霊魂の存在を前提しゅうきょうになります。死後も霊魂が存在するか?どう?かは霊能力で決めることですが、生まれ替わり実霊があれば事実認証で決められます。証拠はなくても根拠で決められます。根拠で決めることに異議を唱えれば霊能力で決めることもできません。理由は証拠が提供出来ないからです。無神論に従うより仕方ありません。

無神論の社会を創る論理になります。神が存在するか?どうか?の結論は、五次元世界が存在しなければ神とは存在になります。(次元世界ではない)五次元世界があれば六次元世界があります。六次元世界があれば七次元世界があります。何処で神と位置付けても上には上があることになります。四次元世界だけでも階層世界の存在は考えられます。この場合には霊魂にも上には上があるとして神は存在と定義しなくてはならなくてはならなります。五次元界があるかないか?は時間が何であるか?が決め手になると思います。科学的に時間とは何であるか?について私はしりません。上記は、私の宗教理念の具体的説明であって、無神論に対する論理説明ではありません。的外れな批判は受け入れられません。論点をすり替えて批判を強行する者は法律で防止すべきです。
 

 


【中曽根思想破れたり】    2-1
自衛隊が警察の不誠実に対する国民の保護活動に参入するとしても、法律で犯罪を起訴する資格を持っていては意味がありません。自衛隊は元々法律の場で起訴する資格がないと云うことは、警察官の良からぬ行為を見つけても警察に報告しなくてはならないと云うことです。内閣(政治家)に報告してはいけません。報告は両方に行わなくてはいけません。圧力はかけられないのだから正々堂々とできます。唯、ヤル気の無い人は関係ありません。ヤル気のある人は自衛隊が保護活動に参入できる道が開かれれば、自分でノウハウを創れます。奥川さんは一つぐらいノウハウを考えたことがありますか?どうしたらよいか?を考えたことがありますか?考えたことがないなら豊田章一郎には当然勝てません。彼に勝てないような人が国に先んじて来訪、面談はお断りします。

家内に伝わって来訪しても追い返します。毛虫の真似は卑怯者がおこなうことです。(追い返せなければはじめから書きません)上記高橋佳子しか私は提訴出来ないと云う内容は、現状ではと云う条件が付きます。即ち、豊田章一郎が、高橋佳子の神の権威を振りかざす行為を逆手に取って私に対する圧力があったとしても、証拠がなければ豊田を提訴できないのです。証拠が入れば提訴も可能になります。誰が来訪しても、そのことは聞かなくてはならないのです。警察以外に責任を持って答えられる人が居るとは考えられません。したがって改めて警察に質すことになります。その方がよいか?(間接なら保留もできる)国が直接報告した方がよいか?を問うているのです。答えるのはそちら様で私ではありません。

「分かりましたか?」「東大卒か?」「何時まででも何処かで聞いたようなことを言っているな!」「毛虫の真似をして家内に伝わった来訪しても追い返すだけです」奥川さんは、今頃「分かりました」では呆れてマトモな対応はできません。分かってる人も居るのだから何で聞けなかったのか?聞けない理由は自己責任だぞ!純子に貸しがあると云うなら当人に伝わって来なくてはいけません。純子に国に先駆けてウラの事実を報告するよう圧力をかけたのか?「何が目的だったのか良心に答えてもらいます」「特に目的などなく自尊心がそうさせたなら正直に良心に答えなくてはいけないぞ!」「一度ガッチンコをやらな~あかんな~」「豊田に勝てなければドイツ陸軍が鼻っ柱を折ってくれるぞ!」「豊田に勝てるか?どうなんだ!」

ヤルべきこともヤラないで処刑を申し出るなどと云うことを神が聞き入れると思っているのか?此処でヤルべきこととは純子の目下に着くことからはじめなくなはいけないのだ!「いくら気に入らないと云っても自分で選んだ道ではないのか?」ハッキリ言わせてもらえば純子にウラの事実を報告するよう策動したことがj間違いなのだ! 私は純子は人質と位置づけていたのですが、東大卒が意味が分からなかったのか?人質に何事か?要求することは半強制になります。(企業進出ノウハウの件はどうか?)貰っておいて「お前が報告しなくてはいけない」と云う言い分は何処から出てくるのか?無暗に来訪すれば必ず追い返しますから、警察は当人に当ページを観るように伝えてもらいます。以上は弟の奥川さんを対象としたものですが、当人は他界しているかも知れません。他界していたら警察は放置していてはいけません。(2012-12-07記)



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